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ゆうまるブログ

自由気ままに意見を掲載(^^)

イジメダメゼッタイ

教養 音楽

いじめが横行してる現代。対策は喫緊の課題だ。いじめによって命を絶ってしまう人もいる。だからこそ、イジメ、ダメ、ゼッタイ 。

集団になれば、必ずいじめは起きる。普段の鬱憤のはけ口を、自分よりも弱い者に与える行為は許されない。遊びという言い訳は通用しない。れっきとしたいじめだ。恥ずかしくないのだろうか。確かに、集団になると粋がる気持ちは理解できる。ただ、いじめを行っていい理由にはならない。僕は自慢じゃないが、いじめを行ったことはない。むしろ、いじめられる側だった。

いじめをなくすことは不可能だと思う。四六時中全員を監視するわけにもいかない。だが、いじめられている人を助けることはできる。僕の場合、担任の先生が助けてくれた。恵まれた境遇だったのかもしれない。なかなか先生が対処してくれないのが現状だ。周りの人にSOSを出すことも勇気がいる。だからこそ、声をかけてあげてほしい。大丈夫だよの一声で救われる命はあるのだから。

いじめを行っても、何の得にもならない。下にリンクを貼り付けたが、BABYMETALの曲の中に、傷ついて傷つけて傷だらけになるのさ、とある。まさにその通りである。惨めになるだけだ。後悔してからでは遅い。しかし、それでもいじめを敢行する輩はいるだろう。いじめを行う人は、何らかの問題を抱えているのかもしれない。その問題を排除しなければ、根本的な解決にはならない

 BABYMETALのデビュー曲↓

BABYMETAL - イジメ、ダメ、ゼッタイ - Ijime,Dame,Zettai (OFFICIAL) - YouTube

坂口杏里が逮捕されたことで

社会問題 芸能

タレントの坂口杏里さんが逮捕されたことで、日本の社会の闇を目の当たりにした。失敗した人間をとことん叩く風潮だ。

犯罪を犯したのなら、罰せられるべきだろう。秩序を守るためには仕方ない。坂口杏里さんの場合は、まだ容疑の段階だ。逮捕されたからといって犯罪者ではない。裁判で刑が確定した段階で犯罪者となる。とはいえ、警察も馬鹿じゃない。何らかの根拠があるから逮捕したのだろう。仮に犯罪を犯したとしても、もう一度更正するチャンスを与えるべきだ。それが結果的に犯罪抑止につながる。

一度でも失敗したら、社会の目は冷たくなる。自業自得だと一蹴すればそれまでかもしれない。特に芸能人が失敗したら、ワイドショー、週刊誌、ネット民などがこぞってその芸能人を叩く。それが悲しい現実である。犯罪はもちろん看過できない。だが、生きてさえいれば失敗はするものだ。それは一般人だろうと芸能人だろうと関係ない。失敗した人間を吊し上げるのは残酷だ。

日本の社会全体が、失敗した人間を許容しない。そして更正という芽を摘んでしまう。坂口杏里さんもそうなってしまうのだろうか。一度失敗してもやり直せる社会は、理想郷なのか。僕はそうは思わない。確かに、遺族、被害者感情は考慮しなければならない。しかし、猛省し罪を償ったのなら、十字架を背負ってでも更正させるべきだと思う。坂口杏里さんが更正できることを願っている。

公人の靖国参拝について

社会問題

毎年公人の靖国参拝が物議を醸す。憲法違反だという批判があり、さらに中国や韓国の猛反発もある。

僕の個人的な意見としては、公人の靖国参拝はいいと思っている。多くの日本人が戦争によって犠牲になった。そういった日本人を供養するのは健全なことだ。たとえA級戦犯でも、命に軽いも重いもない。全員命は平等である。というのが僕の考えだ。宗教との兼ね合いはあるが、憲法違反とまでは言えないだろう。現に最高裁違憲判決を下していない。あくまで今のところはだが。

中国や韓国の猛反発も理解はできる。ただ、中国や韓国の軍人だって、多くの人の命を奪ってきたではないか。日本の軍人は悪人で、中国や韓国の軍人は英雄なのか。命を奪ってきたという事実に変わりはない。同罪といっても過言じゃない。敗戦国だとか人数とかは関係ないと思う。もちろん、日本は反省する必要はある。だからといって、公人の靖国参拝を取り止める必要はないと思う。

あくまで僕個人の意見である。そこは強調させていただく。公人の靖国参拝という問題はシビアである。安易に首を突っ込むべきではないかもしれない。ただ、日本を含む敗戦国の命を軽視してほしくはない。命に甲乙をつけることが許せないのだ。別に日本の戦争を擁護するわけではない。日本には重大な責任がある。だが、戦争は敗戦国だけの責任ではなく、世界全体の責任である。

発言には責任を

政治 時事

安倍政権の閣僚による失言が相次いでいる。大臣としての自覚が欠如していると言わざるを得ないだろう。猛省を促したい。

最近だと、地方創生大臣が失言して陳謝した。学芸員を侮辱するような発言をしたからだ。さらに、ガンに例えたことも不謹慎である。病気を例えに用いるのはどうかと思う。ましてや大臣という地位にあるものとは思えない。文学なら、そういった例えも許容できるが、スピーチなら顰蹙を買うだけだ。波紋を広めてしまうような発言は厳に慎まなければならない。

大勢の人前に立つと、いい格好をしたくなる気持ちは理解できる。ちょっといい例えを用いて、周りから称賛されたかったのか。それとも、本当に学芸員のことが邪魔だと思っていたのか。本人しかわからないだろう。しかし、言っていいことと駄目なことの分別はつけるべきだ。気分が高揚して余計なことを言ってしまうのは、一般人ならまだしも政治家としては失格だろう。

長期政権となって、気の緩みもでてきたのだろう。もう一度気を引き締めてもらいたい。国の権限を国民から委託されているのだから、軽率な発言で信用を失墜させるべきではない。天狗にならないよう注意すべきだ。確かに、失言したほうが悪い。ただ、揚げ足を取り合うのも見苦しい。揚げ足を取り合うから、こねくりまわした答弁を政治家はする。御託を並べるより、発言には責任を。

ブログの文章には細心の注意を払っている

教養

僕は毎日ブログを更新している。ありがたいことに多くの方に読んでいただいている。本当に感謝で一杯だ。

 ブログを書く上で注意していることは、読んでくれた方を不快にさせないことである。せっかく読んでいただいたのに気分を害してしまったら、申し訳ない。語弊を生まないために細心の注意を払っている。もちろん、つまらない記事はあるだろう。それは仕方ない。毎回超絶に楽しい記事を書くことは、僕にはできない。ただ、最低限不快にさせないよう考慮している。

僕は毎回更新したあと、他の方のブログをまとめて拝読させていただいている。お世辞抜きで、普通に面白い。多くのブログから知恵を得ている。その知恵を自分のブログに生かすこともある。興味のないテーマでも、新たなことに遭遇できるからプラスだ。自分のブログもそうだが、他の方のブログを読むことで価値観が変わることもあった。ブログを書く上で非常に参考になっている。

これからもブログをできるだけ毎日更新していこうと考えている。現状に胡座をかかず、常に邁進していきたい。ブログを書いていると気分が高揚してきて、比喩や難読漢字を書きたくなってしまう。たまに読みづらい漢字がでてくるかもしれないが、そこは察してほしい。僕の記事で比喩を使ったら、訳がわからなくなる。読んでいただいた方が、読んでよかったと思えるブログにしていきたい。

活字離れが叫ばれてる今だからこそ

教養

活字離れは深刻だ。小説や新聞が売れない原因のひとつでもある。非常に残念である。活字は魅力的なのに。

僕らは、生きてさえいれば活字に直面する。活字から得る情報や影響は大きい。確かに、絵や写真には劣るかもしれない。だが、活字だからこそ得られることもあるのだ。文章力が向上したり、新たな知恵を得ることもできる。疲れるとか、字だけじゃつまらないという意見もある。そういった意見も理解できる一方で、活字の魅力にも気がついてほしい。活字は僕らの生活に欠かせないのだから。

一般的に、活字とは印刷用の文字を指す。つまり、紙に書かれた文字である。いわゆるSNSなどの文字は活字とは言わないらしい。ただ、僕はSNSなども活字に含むべきだと思う。同じ文字ではないか。曖昧な定義では、皆混乱してしまう。今や電子化が当たり前になったのだから、活字の捉え方も変えるべきだと思う。そうすれば、活字離れも少しはよくなると僕は確信している。

活字が一番能力を発揮するのは、暴力や権力と対峙したときだ。ペンは剣よりも強しという言葉もある。どんな理不尽な暴力や権力にも屈しないのが、活字であり文章だと思う。しかし、綺麗事だと一蹴されるだろう。それでもいいと思っている。捉え方は人それぞれだから。活字離れが叫ばれてる今だからこそ、活字の定義を見直してほしい。同時に今までの紙の活字も維持すべきだ。

若者用語の多さ

若者

若者用語の多さに辟易している。例えば、パリピやとりま、それなやあーねなど多岐に及ぶ。よく考えつくものだ。

一年ごとに新しい若者用語が誕生する。やっと覚えても、次から次へとマスターしなければならない。覚える側のことも考慮してほしいものだ。別に若者用語をすべてマスターする必要はないが、自然に使ってみたいという漠然とした憧れがある。それに、若者用語を駆使できれば、時代についていけてると思える。僕は不安が強いから、それで安堵できるのだ。時代についていけないのが恐怖だ。

ブログなどでは、あまり若者用語を使わない。知らない若者用語を並べるより、自分の知ってる用語を並べたほうが素敵な文章になる。自分を誇張しても、虚しくなるだけだった。普段の会話では若者用語を駆使したいが、ブログなどでは等身大でありたい。もちろん、ブログなどで若者用語を駆使できる人はいいと思う。あくまで若者用語を知らない人は、無理すべきではない。

これから先、若者用語は次々誕生するだろう。想像するだけで溜め息がこぼれる。しかし、若者用語は素晴らしいアイディアだ。先駆者は天才だ。そのアイディアをもうちょっと社会に還元してほしい。確かに、会話で通用する用語を生むことは称賛に値する事柄だろう。考えついた人に拍手を送りたい。ただ、老若男女すべての人が知っている用語ではないのは残念だ。ほぼ若者限定だった。