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ゆうまるブログ

自由気ままに意見を掲載(^^)

環境によって性格は変わる

教養

人間は環境によって性格は変わる。生まれつきではないのだ。有名な「スタンフォード監獄実験」によって証明された。

スタンフォード監獄実験」とは、スタンフォード大学のフィリップ・ジンバルドーによる心理実験である。詳細はググるとありがたい。この心理実験によって、環境によって性格は変わることが証明された。確かに、環境によって性格を臨機応変している。いつの間にか、それが性格になっていた。性格を変えたければ、躊躇せず環境を変えるべきだ。相当なズボラでなければ性格は変わると思う。人間って意外と単純である。

内向的な性格や外向的な性格は、環境を変えたところで適応できるかは不透明だ。それを変えるのは容易ではない。苦慮するかもしれない。ただ、アイドルは意外と人見知りが多い。知らないファンと交流することによって、性格を変えているのだろう。アイドルのインタビューを聞くと、大抵人見知りと答えている。いかにも天真爛漫で人見知りとは無縁そうなアイドルが、だ。このことからも、環境が人間に与える影響は凄い。

僕も環境によって性格が変わってしまう。その環境に馴染むためでもある。環境によっては内向的になってしまうし、外向的になってしまうこともある。だから、僕の場合第一印象が悪くて、その後挽回するのだ。相手も僕のことを理解してくれたら、性格がガラリと変化する。冷淡無情の人間でも、環境によってはガラリと変わるかもしれない。しかし、人間は変化を嫌う。現状維持したがる。まずは、環境の変化に対する免疫力をつける必要があるだろう。

北海道コンサドーレ札幌の惨敗

スポーツ

北海道コンサドーレ札幌が昨日、横浜F・マリノスと対戦し、惨敗した。やはりJ1の壁は厚い。

開幕2連敗だ。北海道コンサドーレ札幌サポーターとして悔しい。せっかくJ1に昇格したのに、これでは...。結果より気持ちが大切だという人もいるだろう。だが、彼らはプロである。気持ちだけでは駄目だ。結果を残さなければ、サポーターは落胆し去っていく。本当のサポーターは最後まで応援するが、そうじゃない人たちは呆れてしまう。過酷な世界なのだ、プロというのは。どんな仕事でもそうである。

僕は最後まで北海道コンサドーレ札幌を応援する。奇跡を起こしてくれると信じている。優勝は無謀な挑戦かもしれない。ただ、J1残留は可能性があると思う。嘲笑うかもしれないが、僕はサポーターとして声が枯れるまで応援し続ける。サポーターの声援が一番の戦力だろう。北海道コンサドーレ札幌を愚直に信じて声援を送れば、きっと結果として返してくれる。スポーツには無限の可能性があり、番狂わせもあるのだ。

次節は、ホーム開幕戦である。絶対に負けられない戦いだ。北海道コンサドーレ札幌の熱狂的なサポーターの声援を背に、J1初勝利してほしい。歓喜に酔いしれたい。もちろん、楽な戦いではないだろう。J1とはそういう舞台である。しかし、泥臭くてもいいから、初勝利を手に入れてほしい。サッカーに興味ない人にとっては、なんでそこまで熱狂できるのか不思議だろう。自分の好きなことに熱くなるのは当然である。どうか、北海道コンサドーレ札幌が初勝利をあげれるよう微力ながら声援を送る。

優しい人なのに

社会問題

優しい人なのに、酷い仕打ちを受けている人たちがいる。理不尽な社会である。姑息な人たちが日の目を見るのだ。

僕の知り合いでも、温厚で面倒見がいい優しい方がいびられている。怒り心頭である。普通なら愚痴の一言を相手に発したくなるが、その方は冷静に受け止めてた。確かに、頑張っていなかったら、叱責されても仕方がないが、その方は一生懸命頑張っている。なのに、叱責されるのだ。不条理にも程がある。僕だったら、言い返してしまうだろう。たとえ相手がどんな人だろうと。後々後悔するかもしれないが、我慢ならない。

自分で自分のことを優しい人だと自負する人は、優しい人ではない。能ある鷹は爪を隠すものだ。そもそも優しいと自覚している時点で偽善者ではないか。本当に優しい人には不幸が忍び寄る。優しい人は気を遣う。だから、嫌な役割を担ってしまう。叱責されても、黙って頭を垂れる。反論したら、角が立つから沈黙を貫く。ただ、そういった人たちも信頼できる人には愚痴を溢す。それが人間のあるべき姿だと思う。

残念ながら、僕が代わりに代弁することはできない。よけいなお節介だろう。しかし、優しい人が叱責されている姿を見るのは辛い。なんで駄目なところにフォーカスを当てるのか。努力している部分にフォーカスを当てるべきだ。優しい人は叱責の標的にしやすいのだろう。ただ、あまり優しい人をいびると顰蹙を買うおそれがある。安易に優しい人を標的にすると、誰かの私怨を生む可能性があるから要注意。人を呪わば穴二つである。お互いに認め合う社会であってほしい。

環境の変化の時期

時事

今ごろは環境の変化の時期である。情緒不安定な時期だろう。新たな出合いもあれば、悲しいお別れもある時期。

学校であれば、クラス替えや担任の交代、卒業などがある。職場では、人事異動や新入社員がある。嬉しい人もいれば、悔しい人もいるだろう。こればっかしは仕方がない。無駄な抵抗したら、解雇されてしまう。上の命令に屈服するしかないのだ。適材適所の人事異動ならいいが、現場の意見にも耳を傾けてほしい。生徒や社員を一番に考えるべきだと思う。もちろん、すべての意見に沿うのは不可能だ。どっかで妥協しなければならない。

信頼関係を構築するのはしんどい。ころころ環境が変化するのは賢明とはいえない。信頼関係が出来て初めてお互いに理解しあえる。だからこそ、人事異動などは慎重に行うべきだ。確かに、馴れ合いになってしまうこともあるから人事異動も必要である。刺激になって仕事の効率がアップすることもあるだろう。しかし、現場のことは現場の人間がよく知っている。現場至上主義とはいえないが、よくよく考察してほしい。

僕は環境の変化が苦手である。環境の変化は、僕にとっては重圧だ。できれば環境の変化がないほうが安堵する。社会は、環境の変化で成り立っているのだろう。宿命と今は妥協しなければならない。腑に落ちないが、人生は我慢することも大切だ。子どものように駄々をこねるわけにはいかない。ただ、少しずつでもいいから寛容な社会になってほしい。僕自身、環境の変化に適応できるようになっていきたいと思っている。

少年非行について

社会問題

少年非行は年々減少傾向にある。しかし、まだ撲滅したわけではない。痛ましい事件も起きている。

一言に少年非行と言っても、様々なケースがあり一概には言えない。万引きや夜間徘徊なども非行である。重たいものでは、殺人や強盗なども非行としてはある。少年はまだ未熟であることは認めよう。ただ、だからといって非行を行っていいという理由にはならない。きっちり内省し、二度と同じ過ちを犯さないことが重要だ。非行とはいえ、被害者は存在する。贖罪も怠ってはならない。

罰を与えるのも大切だが、教育するほうが大切ではないか。少年法の理念はを忘れてはならない。少年非行に対して厳罰化を唱える人たちもいる。僕は、厳罰化には反対である。たとえ厳罰化しても、根本的な解決にはならない。少年非行は様々な要因で起きる。環境に影響されるケースがほとんどだ。もちろん、好奇心で非行に走る少年もいる。仲間内で粋がる少年もいる。だが、根は素直な少年たちだと思う。

僕は、べつに少年非行を擁護するつもりは毛頭ない。どんな大義名分があろうとも非行に走る行為は許されない。しかし、少年が重大な事件を起こしてしまったとき、必ずや少年法の改正が焦点になる。これに危惧しているのだ。少年が重大な非行を犯してしまっても、また立派に更正できる社会であってほしい。家族だけでなく、社会全体で少年を見守る必要がある。被害者や遺族の方の心情への配慮も必要だろう。その上で少年の更正を後押ししてほしい。

北海道コンサドーレ札幌の開幕戦について

スポーツ

僕は、北海道コンサドーレ札幌のファンである。昨年J2で優勝できた意義は大きい。まさか優勝するとは思っていなかった。

そして迎えた今シーズン。J1という舞台で躍動してほしい。コンサドーレ旋風を巻き起こしてほしい。だが、今季開幕戦は惜敗してしまった。相手はベガルタ仙台。アウェーとはいえ、勝てない相手ではなかったはずだ。せめて引き分けで勝ち点1を無難にとってほしかった。残念である。あの状況下では、引き分けがベストな選択だ。ちょっと久しぶりのJ1で調子に乗ってしまったのかな。

やはりJ1の舞台は過酷である。ベガルタ仙台に苦戦してしまう。相手が鹿島アントラーズ浦和レッズだったら、惨敗してしまうだろう。また苦汁を嘗める結果に終わってしまうことが心配だ。まずは得点することである。いくら失点を抑えても、得点しなければ勝利することは不可能だ。鉄壁の守備を崩す突破口が必要だ。エースストライカーの都倉選手に期待したい。北海道コンサドーレ札幌には元日本代表の選手もいる。経験を生かしてほしい。

とはいえ、まだ開幕したばっかりだ。ここで諦めていたら、選手に失礼だ。これから軌道に乗って活躍するかもしれない。下馬評を覆すのだ。ほとんどのJ1の順位予想で、北海道コンサドーレ札幌がJ2に降格すると予想した。悔しい限りだ。期待されないほうが却ってプレッシャーに感じずプレーできるだろう。不屈の精神でJ1残留を目指してほしい。僕も、微力ながら声援を送る。北海道コンサドーレ札幌のファンは熱狂的だ。ファン全員の声援で北海道コンサドーレ札幌を後押ししよう。

頑張れ、北海道コンサドーレ札幌

変われなくても

教養

人間そうそう変われない。容易に変われたら、誰だって苦労しないし努力もしないだろう。

変われないと諦めてしまうのは早計である。人間そうそう変われないと諦め、努力を怠ると本当に変われない。確かに、努力したところで変われるという保証は皆無だ。だからと言って、努力は所詮無駄だと一蹴したら変われない。たとえ無駄だとしても、変わろうという気持ちが大切なのだ。変わろうという気持ちになって行動しても変われないかもしれないだろう。ただ、変わろうという気持ちは変わったではないか。

口だけなら何とでも言える。いざ行動するとなると萎縮してしまう。大言壮語になり、逆に信頼を失うかもしれない。しかし、変わりたいと心底思わなければ変われない。愚痴ったところで何も変わらない。変わろうと意識を変えることから始めるのだ。脳を騙すのだ。自分は変われると呪文のように繰り返す。すると不思議と変われたりする場合もある。一日二日で変われるわけではない。毎日続けることが大切なのだ。

変わろうと意識を変えて変われなかったら、変わることを放棄するだろう。僕も変わろうという気持ちになっても、変われなかった。多分、心の片隅でどうせ無駄だと諦めていたからかもしれない。今は違う。変わろうと微力ながら努力している。変われない日々に憂鬱感が漂う。それでも変われたことはある。変わろうという気持ちになれたことだ。変われなかったら意味がないと思うが、変わろうと努力しないほうが勿体ない。変わろうという気持ちが、自分の人生を好転させるチャンスなのだから。