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ゆうまるブログ

自由気ままに意見を掲載(^^)

裏切られるのが怖いのは自分が裏切ってきたから

悩み

裏切られるのは怖い。相手を信用できない。いい言葉も、悪魔の囁きに聞こえる。疑心暗鬼である。

僕はこれまでたくさんの人を裏切ってきた。語弊があるとまずいから、正確にいうと、裏切ってしまった。可愛がってくれたり面倒を見てくれたのにだ。最低だと思う。後悔している。ただ、懺悔はできていない。一度なら未だしも、何度も裏切ってしまった。きっと呆れているだろう。でも、許してくれるだろう。それが余計辛く、良心の呵責に苛まれる。謝りたいけど、罵声を浴びるのではという一抹の不安があり、できていない。

裏切られるのではという思考になるのは、自分がたくさんの人を裏切ってきたからだと思う。猜疑心は自ら生み出したのかもしれない。自分は裏切って、他人から裏切られるのは怖いというのは都合がいい。心の扉の鍵は自分でなくしてしまった。信用していた相手に裏切られるのは辛いし、激昂するだろう。どんなに温厚な人でも、同じ轍を踏まれたら穏やかじゃない。仏の顔も三度までである。裏切るというのはそういうことだ。

とどのつまり、裏切りの代償は大きい。信用を得るにはたくさんの時間が必要である。しかし、信用をなくすのは一瞬である。人の心はガラスのように繊細で傷つきやすい。これまでたくさんの人が僕のもとを去っていった。自分で蒔いた種だ。言い訳をするつもりは毛頭ない。ただ、捨てる神あれば拾う神ありだ。こんな僕でもまた支えてくれる人は現れた。純情にはなれないかもしれない。でも、また信用してくれる人を裏切ってはならない。そして、信用してくれる人を、僕も信用できるよう微力ながら努力する。